日本音響家協会創立25周年に寄せて

会員の抱負

(機関誌SOUND A&T 2002年7月1日発行から転載)


どこでも音消しスプレー

木枝義雄

私は最近あるスーパーで面白いものを見つけて一本買ってきた。それは何の変哲も無いスプレー缶で「どこでも音消しスプレー」と書いてあり、製造:ドラえもん本舗、発売:日本音響家協会と記されていた。効能は、「あなたが不快と感じる音のするほうに向かって、ほんの少量だけシュッとやさしくスプレーしてください、あなたに素敵な音響空間をご提供します。薬効時間は1時間です。ただし、この薬品は、決してあなたの上司や奥さんに向かって使用しないでください。取り返しのつかないことになる恐れがあります。また多用すると習慣性があります。使いすぎにご注意ください」と注意書きがしてある。試しに机の下でブーブー鳴っているパソコンに向かって「シュッ」と吹きかけてみたら、なんとファンは回って風を送り続けているが、音が聞こえないではないか! そして、聞こえないのはその音だけで、他の音はちゃんと聞こえている! 「へエ、たいしたもんだ」と感心していると、いつもの物売りがワゴン車につけた小型トランペットスピーカを目いっぱいガナリ立ててやってきた。窓を開けてシュッとやると、驚いたことに離れていても効果があるではないか! 私は嬉しくなって、それをポケットにそっと忍ばせ、駅に向かった。

午後の比較的すいた時間帯だったのでホームにはほとんど人が居ないのに、ホームのスピーカから案内が流れてくる。やれ何所行きだの白線まで下がれだの、戸が開くだの閉まるだのと誰のための案内かといいたくなる。思わずシュッ! と一吹き。ぴたりと聞こえなくなった。次の駅で乗り込んできた中年のおばさん3人が、通路を挟んで2人と1人で腰掛け、さっきまでホームでしゃべっていた話の続きを大きな声で話し始めた。辺り憚らず話す傍若無人な声は車両いっぱいに響き渡り、その下卑た声は、私をたちまち不快にした。そこで、そっとポケットから取り出したスプレーを、おばさん達に向けてシュッ! するとおばさん達の声が嘘のように静かになり、おばさんたちは口をパクパクして居る。やがておばさん達は小さな声で話し始めた。それは本当に必要な音量だけで話すと聞こえ、無意味に大声を出すと聞こえなくなるようだった。これはすごい効き目だと感心しながら、デパートへと繁華街に歩を進めた。

そこは相変わらず喧しい音が溢れ返っていた。手始めに瀟洒にデザインされた街燈に取り付けられ、これまたUFOばりのかわいいデザインのスピーカからは、およそ考えられない「歪んで汚い」音を立てているスピーカに向かって一吹きシュッ! 頭の上からCMを容赦なく降り掛けてくる、でっかいテレビスクリーンに向かってシュッ! 店の外に向かって店内のBGを流しているブティックの前でシュッ! それだけでかなり街が静かになっていく。デパートに入ると店内は、BGとともに、やれ次のセールは何々、何階の売り場で何とかバーゲンをやっているとかひっきりなしに何かしゃべっている。よくもまあ、話す種が尽きないものだ。天井に向かって「黙れ!」とばかりにシュッ!

腹が減ってきたので、小腹を癒そうとレストランへ入った。ここはファミリーレストランのチェーン店で味のことは文句を言うまい。しかし、ここでも天井から暴力?が降ってくる。なんとBGにロックが流れているのだ。おちおちものを食べていられる音楽ではない。宮廷貴族は専属の音楽家にターフェルムジークを演奏させ、優雅に食事をした。われわれは貴族ではないが、レストランの食事にターフェルムジークをサービスしてくれる様になったが、早く食べてさっさと出て行けと言わんばかりに、ロックが急き立てる。そこでまたまたシュッ! 味はともかく値段に満足して、目当てのお芝居に出かけた。

塵鎮めが打たれてしばらくすると幕が開いた。序幕へ導入するBGが静かに流れ舞台に明かりが入ると、広い牧場のシーンが広がった。そこへ役者が登場し、お芝居が始まった。突然「ピイー、ピイー」と鳥の声、続いて「ヒヒーン」と馬の声のSEが、大きな音で聞こえ驚いたが、芝居のほうは関係なく進んでいる。なんとこれは「きっかけ」と思いきや、ただの雰囲気SEだったのだ。その後も場違いな音量で出たり性格の違うSEが使用されていたりで、さっぱり盛り上がらない。そこで、調整室に向かってシュッ! 「下手なSE無きに如かず」その後は、役者の好演にも支えられ、何とか公演が終わった。

不興を慰めようと、行きつけの居酒屋へ。いい酒と大将の造る品のいい肴で、漸くいい気分になってきたところへ、2次会の流れと思われる一団が入ってきてテーブル席に陣取り、おだをあげ始めた。

酔っ払った上司が部下に言いたい放題を大声で言うと、その上司の「野ダイコ」が尻馬に乗る。逆らえずに言われるままの本人も気の毒だがせっかくいい気分で飲んでいたのに、勝手に聞えて来るこちらまで不愉快になる。酒のご利益は公平に。一人だけが楽しんで他が不愉快になるのでは困ったもんだ。そこでその一団めがけてシュッ! とたんに件の酔っ払いは口をパクパク。その座がしらけて「親父!もう帰るぞ」と出ていった。その後の酒がぐんと美味くなったことは言うまでも無い。

家に帰ると、もう深夜だ。風呂へ入って湯上りにビールを片手にテレビをつけると、若手の芸人たちが深夜番組にもかかわらず、相変わらず大声でわめきあっている。思わずスプレーをシュッ! しまった、ついスプレーに頼ってしまう。スイッチを切ればいいことだった。無駄使いをしてしまった。なるほど習慣性がある薬品だ、と感心しながらソファーに凭れ、ビールを一口飲んだところで目が覚めた。

こんな薬品が本当に発売されたら、「飯の食い上げ」になる効果さんが続出するのだろうか? それともわが協会員なら大丈夫なのだろうか? 街の音環境が極端に悪くなった今、いい環境音を作る提言にも取り組みたいですね。

それにしても都会は喧しい音にあふれている。子供のころからそういう環境に慣らされているとまともな情緒が育まれず、大人になったときにどんな人間になるのだろうか? 心配です。

酒飲みの戯言。

【きえだよしお/中部支部/1級音響技術者】


こんなことができたら・・・

藤田 猛

最近のデジタル音響機器の急激な進歩は目を見張る物がある。しかし、よく考えれば考えるほど今のデジタル化で本当によいのかどうか疑問が湧いてくる。そもそもA/D変換とはアナログからデジタルへ変換することである。我々が聴覚として感知する空気振動自体がアナログであるから、それを一度マイクロフォンを通して電気信号に変換して、さらにA/D変換する現在の方式は厳密にA/D変換と言えるのかかなり疑問である。

また、D/A変換に関してもデジタル信号を一度アナログ信号に変換し、さらにそれを磁石のN極とS極は相反するという古典的な方法によって無理矢理振動をつくり出すやり方が本当にアナログ的やり方なのかどうか疑問である。確かにエジソンが録音再生機器を発明してから我々は磁気による記録方式、再生方式を今までやってきた。我々が声を出す場合、声帯を震わせて声を出す、音を感知する場合は鼓膜で振動をキャッチして信号に変換している

つまり音は全て振動を元にやりとりされている。空気中に存在する振動をそのまま振動データとしてデジタル変換してやれば、より生音らしいデータになり、また、そのデータをそのまま変換して振動にしてやれば確実に生音になるはずである。

通常のマイクは、コイルと永久磁石(いわゆるフレミング右手の法則=誘導起電力)の関係で振動を電気信号に変換し、またスピーカは、電磁石(これもコイル)と永久磁石(こちらがフレミング左手の法則⇒実はマイクとスピーカの原理は全く一緒なので、極端な話スピーカをマイクにしたり、マイクをスピーカにすることも可能です)の関係で電気信号を振動に変換しております。ここで、現在、コンデンサマイクロフォンとコンデンサスピーカという物があります。コンデンサ型は電気的特性の利用はしているが、磁石的特性は全く利用しないため、磁界の影響を受け難く、また電気容量(静電容量)の変化によって信号値が変化するため、データの値も厳密である。これを上手くデジタルに応用した場合、より厳密なデータを得ることができる。

現在のマイクは結局のところ、一度電気信号に変換した信号をA/D変換を通してデジタル信号化しているが、ダイヤフラムにセンサーを付けて振動をそのままデジタル化してしまえば、より精密な音声データを得ることが可能になる。またコンデンサスピーカを改良してデジタルスピーカにしてしまえば(デジタルマイクを造る方法と逆のやり型で)、元々あった振動データを忠実に元の振動に戻す事ができ、我々の耳の鼓膜には元の音声と全く同じ振動データを渡す事が可能になるはずである。マイクとスピーカのフルデジタル化が進めば、マイクやスピーカは今よりさらに小型が進むはずである。また、デジタル計算する事によって、フィードバック現象の低減、F特の操作等も簡単に行う事ができそうである。また大幅な小型化、小システム化ができそうである。

現在の音響システムは、電気的特性がどうのこうのという話が多いが、最終的には我々の鼓膜が振動する事によって、聴覚神経が感知し、信号を大脳へ送る事により人間は音として感知している。スピーカがデジタル化されて人間の声帯をシュミレーションできるようになれば、クリアな声の拡声ができるようになり、マイクがデジタル化され、鼓膜のシュミレートができるようになれば我々の耳に本当に聞こえる音の再生ができるようになるはずである。未来の音響機器には電気的特性やデジタル伝送がどうのこうのという事よりも、我々人間が本当に美しい音として感じられる物、より本物らしく美しく聞こえる物が求められると思う。メーカー自身も電気屋さんという視点を変えなければならないであろうし、医学や生理学で培った人間を初めとする生物全般にわたった聴覚理論を音響機器に応用していかないかぎり、大きな音響技術の進歩は有り得ないと思われる。

我々が最終的に求めているのは、ごく限定された空間でいかによりよい音を創り出すかという事であり、それを追求していったら、最終的に行きつく先はアナログを極めるという事である。そのためにデジタル技術を使ってもらいたいものである。

【ふじたたけし/東日本支部/2級音響技術者】


理想の音響家について

澤田 誠

いまだ“理想の音響家”について考える余裕すらないのですが、数々の舞台を経験しているうちに、私自身、考えさせられることがあります。それは「最近、ハードに頼りすぎて、自分で何か工夫を創出する努力を忘れていないだろうか」、と。

言い換えれば、今やハードの性能に左右されすぎるほど、個人のアビリティがハードの性能を前提にして成り立っているのではないかということです。特にアコースティック・サウンドを主とするホールに勤める私の場合、ハードとはマイクやミキサーだけの音響機材だけでなく、ホール全般(舞台の床材、構造等)を含めますが、従来の技術マニュアルや経験則では計りきれない“音のニーズ”が増えてきました。

この場合、自分だけでなく、プレーヤー、他のエンジニアとともに考え、従来の体験をベースに新たに予想しながら、一緒に目に見えない‘音’に、美しく響かせるための‘色’を足し加えて“音色”をクリエーションしてまいりました。ですが、ベテランである先駆者の方々の次元には遠く及ばず、まだまだ理想とする“音響”を目標に努力を続けなければと痛感しております。

今まで、新しいハードの登場が時代を進化させるとともに、旧来のハードとポジションを置き換えながら歴史の1ページを重ねてきました。一方、進化の源(エネルギー)となるニーズ(クオリティティへのこだわり、要求)が現状維持志向になったり、技術者全般に「これ以上は不可能」という固定観念が広がると、進化のスピードを鈍らせ、やがては時代の退化を意味するのではないでしょうか。大切なことはテクノロジーだけが進歩するのではなく、私ども音響家も進歩する時代のスピードにあわせて、今まで担ってきた“音”の役割に加え、新しい価値のある“音”を創出していく感性が重要であるように思えるのです。

最近、一般的に、“アナログ”とは古いモノ、“デジタル”とは新しいモノという風潮があるかのようです、なんとなく“アナログ”は“アナクロ”(時代錯誤)と混同されているかの如くです。確かに携帯電話はアナログ方式からデジタル方式に置き換えられましたし、LPのレコードはCDに、メディアにおける主役の座を明け渡しました。もちろん、今では次世代メディアの主役をめぐって開発が続いておりますが、今のCDのようにお年寄りから子供まで世代を超越した市民権を得るのはマダマダと思われますが、均一したハイ・クオリティを比較的手軽に安定供給できるデジタル技術は、私ども“音響家”にとっても密接な関係にあります。

例えば、私の専門分野であるクラシック音楽についても、楽器の音色をホールのサウンドで自然に響かせるという固定観念に対して、今まで考えられなかった音響が可能である時代に突入しました。まるで120名のフル編成オーケストラが1/10の人数で演奏可能なように…、あるいは客席を有するホールそのものが必要でなくなったり…。

しかし、全てに置いてテクノロジー優先で考えていることに対して危機感を抱いているのは私だけでしょうか。あくまでも、“音響家”として芸術的な表現を行うパフォーマーとともに‘音’に価値ある‘色’をあわせて誰にもマネできない“音色”を創り出すことこそ、世界各地で固有の芸能・音楽文化を支え、発展してきた“音響”の本質、私が描く“音響家”の将来としての理想像です。

シェークスピアの作品に登場する有名な“To be or not to be…(生か、死か、それが問題だ)“と始まる一節は、悲観的なニュアンスを示すフレーズですが、私が音響デザイナーであったら、現代風に次のように演出するでしょう。曰く、「音響家であり続けるか、そうでないかは自分達一人一人の目標と使命の問題だ」と。何やら、技術的な問題提起や理想の音響という実践論から大きく話題がズレましたが、まだまだ見習い中であり、話せるネタ不足ですので、お許しを。しかし、古今東西、支えてくださるお客様あっての仕事ということには永久に変わらないと断言できます。

【さわだまこと/北陸支部/入善コスモホール/2級音響技術者】


会館と私のこれから

草野 学

私は道東北見市で自社(オホーツクアートサービス)より市民会館、芸術文化ホールに舞台技術職員として入っています。私の会社は芸術文化ホールオープンに伴い両市民ホール技術職員を地元の民間企業に委託することとなり、設立されました。会館業務を開始し試行錯誤を繰返しながら1年が過ぎ、原点に戻ると言う事を含め音響家協会に講師を依頼し、2日間研修会を開催したのが協会との出会いです。その後北海道支部よりお誘いがあり協会に加入させて頂きました。その後講習会に参加し、最初に学んだことが、声を出す(声を掛け合う)という事でした。簡単な様で中々出来なかったこの声掛けですが、今も心掛けて大きな声を出すようにしています。

私が会館で勤務し始めの頃、打合せでまず悩んだのは、こちらが『仕込みのための前の区分(時間)が申し込まれていないから準備が出来ないので前の区分を申し込んで下さい』と言うと『前の市職員さんだったら何も言わないでやってくれたのに』と言われた時でした。この時、会館を使われるお客様に理解をしていただけるよう努めなければ、と思ったのと同時に会館を使って頂くお客様への本当のサービスとは何だろうと考えさせられました。お客様に会館を使って頂きホールスタッフに慣れ親しんで頂く事は嬉しい事ですがホール(舞台)でのルールをしっかりと指導するのも私達の仕事だと思いました。しかし幼児の発表会からお年寄りの民舞まで色々な方が使われる多目的ホールでは難しい部分もあるのですが…

私達は市との契約で三つのホールに8名(舞台3、名照明3名、音響2名)で勤務していますが、当然人数が足りるわけはなく、三つのホール同時に催し物が入ってしまうとどこかのセクションが掛け持ちをしなくてはなりません。例えば、照明の調光フェーダーを袖に下ろし、舞台係が進行と照明を兼務する(小さな会館であればやっている事と思いますが…)講演会の記録録音程度であればデッキを袖に置き主催者に操作頂く事もあります。管理係は稼働率を上げるためどんどん催し物を入れて来るのですが、事前に大きな催物が二つのホールに入っている事を私達が判れば残りのホールに入れないよう管理係に頼みます。しかし、たまに時間がずれているからと残りのホールに催物を入れられてしまうと、どこかで時間が押してしまったら大変な事になってしまいます。この様な行き違いも、今までは会館業務に慣れ始めた3〜4年で職員が移動になる役所の事情上、半ば諦めていました。しかし迷惑が掛かるのはお客様だと言うことで、今シーズンより定期的に管理・技術の合同ミーティングをする事にしました(もっと早くから実行するべきだったのですが)。もうじき忙しいシーズンとなりますが、今年こそこのような事が起こらない事を願うばかりです。

今年で勤務5年目に入り、ようやく色々な団体の方が私のところに直接相談に来る様になり嬉しく思います。たまに、違う場所で使う音の編集を頼みに来られたり、会館で録音した物からCD(CD−R)を作りたいと言う会館業務外の相談が来たりします。空いている時間でなるべく相談に乗るようにしています。この様に会館を使う側、使われる側ではなく人と人との関係でありたいと思います。今考えると多種多様な催物に携わり会館を使って頂くお客様達に私達は育てられているのかもしれません。

とかく会館で仕事をしているとホール職員という殻に入っている自分がいるのです。他のスタッフも自社の社員ですので、極力打合せではお客様が意見やイメージをしっかりと持っていたら、どんどん聞く様にして行きたいです。これからもお客様と意見を交えながらお互いに成長して行けたら良いなと思っています。またこの仕事に就いた時周りに教えてくれる先輩もおらず悩んでいた頃、音響家協会を知り入らせて頂き本当に感謝しています。これからも講習会などに進んで参加したり他のホールをたくさん見学したりして、多くの諸先輩方から色々学んでいきたいと思います(催物とぶつかり、なかなか行けないのですが)。

これから5年目に突入し新たな気持ちで市民ホールの在り方を見詰め直し、一期一会(お客様、業者の方々、他ホールの方々etc)を大切に30歳の市民会館、4歳の芸術文化ホールと共にこれからも成長して行きたいと思います。

【くさのまなぶ/北海道支部/2級音響技術者】


私のめざす音響家

長浜 博

もう遠〜い昔の思い出になってしまったけれど、あの懐かしい昭和。その全盛期ともいうべきS40年代後半、小生が青春とやらを謳歌していたころにさかのぼるが、当時国鉄(JR)有楽町駅前に日本劇場、通称日劇という周囲が円形のユニークな劇場が建っていたことをご存知でしょうか? 知ってる! よ〜く知ってるよ、と答えてくれる方はきっと限りなく小生に近い年齢層であると察します。

この劇場の歴史を垣間見ると、第二次大戦中は客席の高い天井と柱の無い大きな空間を利用して、軍部の方があの風船爆弾なる新兵器をここで製造し、偏西風という全く石油エネルギーのいらない運搬手段で何とあの広い太平洋を超え、アメリカ合衆国まで大きな風船で爆弾を運び敵国に投下しようとしたらしい。軍事的には、あまり大きな成果はなかったらしいが、そのアイデアはものすごくユニーク且つ雄大な作戦ではないだろうか。終戦後この劇場は、復旧修理がなされ心身共に荒廃した戦後の人々に娯楽(文化)と夢を与え続けてきた。

小生がこの劇場と初めてご対面できたのが昭和42年。当時、一世を風靡していたあの御三家(最近全国ツアーでますます元気になって復活)のまさに全盛時代の頃でした。私ごとになりますが、この憧れの歴史ある劇場に到着するまで、何と30時間以上も修学旅行列車にゆられての、それはそれは長〜い長〜い道程でした。やっとの思いでたどり着いた劇場に足を踏み入れた時のあの瞬間は、今でも脳裏にしっかりと焼き付いております。

開演ブザーが鳴り緞帳が上がると、まさにタイムトンネルの中にいるような気持ちで時間が流れていました。催し物は、当時の女性トップスターのワンマンショーでした。終演までの約2時間近く舞台に釘付けになりました。なんて綺麗な(容姿ではない)サウンドなんだろう。マイクを握ってもないのに何て鮮明に、こんなにも声がクリアに聞こえてくるのか? 不思議と驚きの時間があっという間に過ぎて行きました。

今になって思えば、当時の不思議や驚きも全て理解できるのですが、若かりし10代のあの頃の自分にとっては、何とも理解しがたい経験であったと思っております。劇場を立ち去った後も、心地よい余韻が胸中に漂っていた事を覚えております。私たち音響家が、ともすれば忘れがちなこと、それは客席にいるお客さんはどんな気持ちで劇場まで来てくれたのだろうかということ。私たち関係者は日々の慌ただしさのなかで、出演者とスタッフが中心となりすぎて肝心のお客さんの気持ちを置き去りにしてはいないだろうか? 時間を割いて劇場・ホールへ来て下さるお客さんの心情をもっと察しても良いのではないか。なかには、この劇場・ホールに初めて来たという観客も必ずいるはずである。私たちはその観客にとって今日の劇場での初体験が、その人の心に大きなインパクトを与えるかも知れないということをしっかりと認識しておくべきではなかろうか。

ミュージカルの帝王キャメロン・マッキントッシュ(代表作品にキャッツ・オペラ座の怪人)は、彼がまだ小学生の頃に母親に連れられて初めてミュージカル劇場に行った。そこで観た舞台が忘れられず、それがきっかけで彼はミュージカルの世界に没頭していった。ロンドンのドゥルリーレイン劇場で掃除係りをしながらミュージカルを独自に実践的に学んでいった。私は音響家としての仕事の原点もここにあるように思えてならない。音響家とは劇場に来てくれた多くの人々を対象に仕事をしているのだから、観客の心のどこかに余韻を残せるような何かを提供できなければ、再び観客として足を運んでくれる可能性はあまり期待できないのではないか。

そうなれば劇場・ホールに来るよりも、CDの方がいいなどと云うことにもなりかねない。劇場・ホールの音響の仕事とは、お客さんがロビーに来場したときから既に本番なのである。ロビー・客席での場内アナウンス、そして開演ブザーが心地よい音量と音質ならば、そこでお客さんはいつもの自分の生活環境とは異なる空間にいることを認識してくれるはずである。音響家の仕事とは、緞帳が開く前から本番なのである。開演後は出演者と観客が心地よい気分になれること、そして双方がオーディトリウムで時間を共有し一体感を満喫できたときにこそ、この仕事の醍醐味があると思う。

音響家の仕事とは、観客を夢の世界に誘う仕掛け人ではないかと思う。最後に、私の夢。それは「お客さんの心のどこかに余韻という音を印象づけること!」

【ながはま ひろし/九州ブロック/1級音響技術者】


日々音好日

谷川 修

人間の記憶と嗅覚が密接に結びついていると、以前何かの本で読んだことがありますが、このあいだ、館の昨年度の事業の統計をとっていたときに、ある公演の名前を見たとたんに、その時の臭いを無意識に思い出してしまいました。それは某猿軍団の貸し館公演で、舞台袖が異様な臭いに包まれていたのでした。あまりの悪臭だったので、臭いの記憶が瞬間的に鮮明によみがえったのかもしれませんネ。これほど強烈でなくても、時折、何かの臭いをかいでは、これは何の臭いだったろうと記憶の糸をたぐることがあります。山へ行けば山の臭いがするし、海へ行けば海の臭いがする… でも本当は海の磯の臭いっていうのは海藻なんかの半分腐ったような臭いであって、陸をかなり離れてしまうと臭いが無くなるそうです。

外洋ヨットに乗る人に聞いたところでは、海の上は臭いが全くしないそうで、船が陸に近づくにしたがって、陸が見える2日ほど前から人間界の悪臭?がしてくるそうです。陸も見えないのに、まず悪臭がして陸が近いことを知るなんて、ちょっと悲しい気がします。でも臭いがない海の上に一度行ってみたい気がします。陸の見えない海の上では、陸の音も届かず、風の音と波の音…船のきしむ音と自分の発する音だけ…。ちょっと憧れます。

毎日、事務所にいてもあらゆる騒音に囲まれ、帰るときにパソコンの電源を落としハードディスクや冷却ファンが停止したときの静けさといったら、身体が一瞬軽くなるような感覚を覚えます。ついつい脱線してしまいましたが、私がいいたかったのは、ある音を聞いたら、ふとその音を聞いたときの舞台がよみがえってくるような、そんな音づくりができたらいいなあと思ったからです。

SEASベーシックコースの講習会などで、音響は目立ってはいけないということを教えられたと思うのですが、日々仕事に励むうえで、音響が騒音?にならないようにしたいというのも私の目標のひとつです。

講演会では、講演者の声を聞き取れる範囲で、なるべく小さな音で出すように心がけています。アコースティックなコンサートや邦楽の演奏会でも、なるべく音がそよそよと流れてくるように心がけてはいるのですが、如何せん技術が伴わないので、つい騒音になっているかもしれません。公共ホールの小屋付きという仕事は、限られた時間内で、様々な種類の音を相手にするという点で、良くも悪くも手抜きのような状態にならざるを得ません。

使用者に払っていただく備品使用料のこともありますし、マイクの出し入れをしてくれる人間もいませんし(ほとんど同僚の舞台係が走り回ることになるのですが)、それに第一どんな音が出るのやら、開けてビックリ玉手箱のように、髪の毛じゃなくて頭の中が真っ白になってしまいます。でも、そんなことも含めて、会場のお客様に対しては私の責任になるのですから、事前の情報収集と、自分の腕を磨くという事につきるのでしょう。

しかしながら、毎日のように音を出していても、こんな感じでいいのだろうか、独りよがりになってはいないだろうかと、心配になることもあります。ホールの機器の設定など、あれこれいじってみたいところはたくさんあるのですが、一人では、やる気が起きなかったり、ホールの仕事のない日は次の自主事業企画の段取りに追われたりで、ついつい後回しになっています。

でも音響係が一人しかいないような小さなホールでは、みんなこんな身近なことで不安を感じているのではないでしょうか。そんなことをSEASや地域の音響家が協力してやっていけたらと思います。

【たにがわおさむ/北陸支部/みくに文化未来館】


ちいさな観客達

菊地 貴子

全国の皆さんはじめまして、「札幌市こどもの劇場やまびこ座」に勤務しております、菊地と申します。まずは、やまびこ座の事をご存知ない方のために、少し説明をさせていただきます。

札幌市には2つのこどものための専門劇場があります。1つは、公立では国内初の人形劇場「こぐま座」。そして、もう1つは、人形劇だけではなく、児童劇の公演も行っている「こどもの劇場やまびこ座」。この2つの劇場は、毎週末、そして夏休みや冬休みに、道内の劇団が、人形劇や児童劇を上演しています。

ときには、こどもたち自身が演劇を行います。全国的にも珍しい、この恵まれた2つの劇場は、常に、こどもたちを中心として、その周りを大人たちがサポートする、そんな関係が保たれています。札幌近郊で活動している、アマチュアの人形劇団の大半が、主婦の劇団です。子育て中、または子育てに一段落したお母さん達が、自分のこどもだけではなく、たくさんのこどもたちの笑顔が見たい。そんな願いを持って活動しています。

私たち、こどもの劇場職員は、そんな素敵な思いを持った、人たちと一緒に、こどもたちの大きな夢の応援をし、協力して、芝居造りをしています。日常の生活では、なかなか体験することのできない事。生のお芝居を観て、何かを感じる。ということを、是非、札幌のこどもたち、そして北海道のこどもたちに、体験してほしい。そんな願いをもちながら、日々、舞台音響という仕事に携わっています。

私は、こどもたちと過ごす時間が大好きです。物心ついたときから、漠然と「保母さん(現在は保育士)になりたい」という将来の夢をもっていました。はたまた、小・中学生の頃に大きな舞台(北海道厚生年金会館)に立ち、人前で歌い・踊り・お芝居をするという、経験をしたことで、舞台芸術という分野にも、とても興味をもっていました。そんな中、無事、保育士という職業に就くことができました。が、しかし・・・

私がこの仕事をはじめたのは、5年前のことです。自分が子どものころに、この「こどもの劇場やまびこ座」の舞台に立ち、芝居をやった時のことが忘れられず、ここで働きたいと強く願い、そして、その夢が実現しました。こどもたちと関わりながら、舞台の仕事もできる。私にとっては、夢のような劇場です。毎週たくさんのこどもたちが、やまびこ座に訪れます。初めて人形劇・児童劇に出会ったこどもたちは、少し緊張しています。

ちょっとした、自分なりのバリアを張ります。探りを入れます。時には、客電がおちると「暗い」といって、泣き出します。でも、人形や役者の声・音・・・そして、空気に、すぐに馴染みます。それからは、すごいパワーを発揮します。ちいさな観客達の目は、キラキラ輝いています。大人にはできないのめり込み方をします。しかし、こどもたちの目はシビアです。一番怖いお客様です。おもしろくない、または、お気に召さない芝居を観ると、すぐに口に出します。「つまんなーい」「帰ろうー」と。ぐずります。立って歩きます。お友達とおしゃべりを始めます。全然、観ません。これは、ほんとに怖い! 大人たちは悩みます。良かれと思ってやったことが、ことごとくはずれ、だめだと思ってやっことが、大成功。こどもたちのツボは摩訶不思議です。難しいのです。

今年の1月に、やまびこ座プロデュースの人形劇を制作しました。「オズの魔法使い」を現代風にアレンジしたものでした。私の仕事は、もちろん効果音の制作から始まりました。人形劇の場合、あまりリアルな音は好まれません。あくまでも人形達の世界を演出するものであって、風や川の音も日常聞く音ではなく、人形のサイズにあった音作りを要求されました。正直、楽しみながらも、大変苦労したという感じです。60種類ぐらいの音を作ったのですが、人形遣い(役者)が、ビンタをしながら、口で出した効果音「パン!パン!」という音(声)が、こどもたちに一番うけました。ショック…でした。

こんな予想のつかない毎日の中で、こどもたちに色々なことを気づかされ、教えられながら、舞台音響という仕事ができること、とても、幸せに思います。やまびこ座・こぐま座が、誰のための劇場なのか、それを忘れないように、そして、これからも、こどもたちに、夢を与え続けられるように、努力していきたいと思っています。

【きくちたかこ/北海道支部】


舞台の座敷童子

犬塚 裕道

居るだけでギャラの頂ける音響家!
現場に顔を出すだけで高いギャランティの頂ける音響家というものになりたいと思っています。冗談はさておきまして、私と致しましては目立たない音響家になりたい、居るのか居ないのか分からない、何をやっているのか分からない、姿の見えない音響家になりたいと思っております。

大分以前、この仕事を始めたころからお客さんなんかに「音が良かった」とか言われるのは仕事的には失敗だと思っていましたが、ニューヨークではその思いを強くしました。文化庁の在外研修でニューヨークに79日間居てミュージカルやら芝居やら、ライブハウスなんかも含めて、何だかんだと74ステージ観て、強く感じた事の内の一つに「スタッフが主張してどうする」と云う事がありました。それもそう思うような舞台は大体その主張が舞台を壊していると云うか、邪魔している場合が多く、それが原因の一つとしてつまらない舞台になっていたように思いました。音が目立っちゃって、舞台の世界に中々入っていけないのです。

それは例えば、大きすぎたり、音の出所と演者の居場所との距離感がちぐはぐだったり、音楽と歌のバランスが悪かったり、とまあ色々あるんですが、バランスが悪いと云う、そもそも失敗している舞台は(音響デザイナーに対して好意的に思えば多分プロデューサーなんかがもっと「大きい音を出さないと聞こえない」とか余分な事を言ったんだと思うのですが)、論外として、そこまで出す必要がどこに有るのだろうか?と思ってしまう舞台や、役者の口と声の聞こえてくる所が極端に離れていたり、方向は合ってるけれども距離がまるで違ったりする舞台があったのです。

そういう事は結構人気のある舞台にもあったのですが、観ていて(職業柄余計に感じるのでしょうが)、気になって仕方がありませんでした。機材的、会場的にそれが最大限の努力の結果でベストな状態ならば諦めるしかないのでしょうが、とてもそうとは考えられません。私がいた頃の一番人気の舞台は「ザ・プロデューサーズ」でブロードウェイの中では比較的大きめの劇場でして、満席で(概ね毎日104%の入り)しかも喜劇で大ネタ・小ネタの連続ですから客席の笑いも多くと云うか、途絶える事は殆ど無い状態でしたから、台詞を聞き取らせるには余り良い条件とは言えないのですが、ちゃんと台詞も聞こえていたし、音が大きすぎる事はなかったし、役者と声の出所も非常に適正な距離感で音に関して何の違和感も抱かなかったし、その他のスタッフも舞台を助ける事はあっても邪魔をする事はなかった、とても良くまとまっていて舞台の世界に素直に入っていけて本当に楽しめる作品でした。その他にも素晴らしい舞台は沢山ありましたがいずれもスタッフの仕事を気にするようなことはありませんでした。

勿論、私もプロの音響家の端くれですから、そういう舞台を観たときでもなにがしかの観察や何かはしていたわけですけど、一応、まっ、本当に一応程度なんですけど。

というわけでスタッフが目立つ舞台、スタッフの仕事が目立つ舞台というのはろくな物がない。これはまず持って間違いのない事であろう、と考えています。れっきとしたプロのスタッフの、それも本当によく解っている人が褒めるのであれば兎も角、そうでない場合は「音響が良かった」等と云うのは決して褒め言葉だとは思っていません(まずそんな事を言う観客は居ませんけどね)。むしろ私が音響の仕事をしている事を知っている知り合いなんかに現場であった時なんかは「あれ、今日はどうしたの?何してるの?」等と言われた時の方が「上手くいってるな」と思うんです、私(一寸、宇野鴻一郎が入ってしまった)。

観客から姿を消して影のない(振動板の存在を感じさせない)音響家となり、演出家などのスタッフから必要とされ、出演者からは何をやっているかはよく分からないが良い舞台の時には必ず居る様な音響家になりたい。それは家にいるとその家が栄えると言われている座敷童子の様に、居ると何故だか解らないけど舞台が良くなるとか、そんな舞台の座敷童子とでもいうような音響家になりたい。そんな風に考えています。

 目立たん音と人のいう

 音が目立って何になろ

 ギャラが高くなるじゃなし

しかし、存在や仕事が明確ではないと高いギャラどころか、少しもギャラが頂けないかも知れない。うーん困った。

【いぬづかひろみち/中部支部/1級音響技術者】