インタビュー

チャレンジし続ける人生

  

株式会社M&N 代表取締役

森本雅記


昔、ミスターアルテックと呼ばれていた森本雅記さん。自社の商品だけでなくスピーカの的確な使い方まで広めて歩いていました。

現在はM&Nという会社を興して、特に仮設型音響反射板の普及に努めています。電気音響を使う前に、演奏する場所の音環境を整えるというのが常道ですから、とても素敵な商売をなさっているのではないでしょうか。

1949年生まれの森本さんの、今も変わらぬチャレンジ精神の源泉を探ってみました。

 

Q お仕事は順調で、お忙しそうですね。

森本 幼稚園、病院、店舗といった隙間の市場がまだまだあって、そこに当てはめる機器、設備を考えるのに忙しい毎日を過ごしています。

Q 主に公共的な空間や商業空間の音響、つまり業務音響の営業に舵を切ったのは正解でしたね。

森本 この仕事を始めたときから、欧米の業務音響の市場の大きさに驚いていました。アルテックとの付き合いの中で、空港やコンベンションセンターの設備や市場規模を紹介されて、コマーシャルサウンドという市場の面白さを知りました。特に専門の担当者が存在しないこの市場に、様々な機器(オートマチックミキサー、フィードバックサプレッサー、アンビエントノイズプロセッサー、ダッカー)が使われていることに気付き、将来の市場性を感じました。

Q 協会の設立当初から、さまざまな発想で協会運営にご尽力いただきました。

森本 八板さんが提唱した音響家の地位を向上しようということに共感を得て参加しました。ホール音響の創生期の頃、ディレイシステムの実験、スピーカシステムの設置環境の実験を繰り返し行うことができ、今につながっています。

Q サウンドリンフォースメントの言葉を流行らそうと、PAに対して「SR」の略語をご一緒に使いだしました。

森本 音響設備が主役になる世界と脇役になる世界があることに気付き、音響設備の存在を気付かせることなく演奏者や話者の作業?を楽にしていくことを目的に、SRという用語を八板さんと提唱したつもりですが、現在の使われ方はかなり当初の意図とは違ってしまったという気がしています。音響設備が主体となる世界の言葉を別に用意する必要があるのではないでしょうか?

Q 海外、特に米国の音響事情なども教えていただきました。なにも考えずにスピーカ積み重ねている日本の仕込み具合を見た米国のメーカーさんが、これじゃあいい音は出ないと言われたとか。

森本 アルテックという会社が技術資料をたくさん用意してくれたこと、海外の施設紹介を頻繁にしてくれたこと、それを日本語に訳していったこと、大変な労力でしたが日本の市場形成に役立ったと考えています。未だに、製品の良し悪ししか見ない方々がたくさんいますが、製品を組み合わせて使う設備における技術、その設備をどのように運用していくかというシステムの考え方をもっと深めていく必要があると考えています。

Q そうですね。あの頃いい音がでていると、同業者は「メーカーはどこですか」と尋ねてきましたからね。どのように使用しているのかに注目してほしかったけど。床に置くマイクがあるとかの情報も森本さんからでした。試作機のような物も持ってきていただきました。

森本 ドン・デービスが試作していたPZMをアルテックのセミナーで見せてもらって日本に持ってきて、八板さんに使っていただいたのが最初でした。こんな形のマイクロホンを誰が使ってくれるのかという不安を持っていたのですが、的確に使っていただいて感謝をしております。

Q このマイクを「放送技術」に掲載したら、某放送研究所の方から「馬鹿なことを言うんじゃない」とお叱りも受けました。

森本 非常識的なものを積極的に使っていくという精神ですね。ソリューションをしますと言いながら、自身の保身だけを考えていたら何も前に進みません。

Q 米国では、専門技術は知らないが、セミナーのインストラクターとして上手に指導できる人たちがいると言われて、そういうのもいいかもと思って、セミナーの講師の在り方をいろいろと研究してみました。

森本 それぞれの能力の振り分け方が非常に大事です。機器の取扱説明書を書くだけでメーカーを渡り歩いている人もいますし、資料のまとめがうまくてセミナーのインストラクターをしている人も多くいます。過去にあったコンサルタントで、トンネル内の音響設備だけという人もいました。

Q フライングスピーカについても先駆的で、そのワークショップを開催しましたね。

森本 スピーカシステムから出てくるサウンドをどのように放射していくかということに興味がありました。当時は何か思いつくと仲間(会社も立場も違う方々)たちが寄り集まって、何かをやってやろうという気風があったと思います。施設の保守点検という名目で、無料で空間をお借りしました。

Q 東京の普門館を貸していただいて、大きな実験会もやりました。森本さんのところで、プロセニアムの中に取り付けた状態を実験するための大きなボツクスを作っていただき、さまざまな条件で実験できました。

森本 あの実験は非常に面白いものでした。プロセニアムはエンクロージャの外にエンクロージャを作るわけですから音が変わるのは当たり前なのですが、誰もそのことに触れてきませんでした。それに気が付いたのは映画館のスクリーン裏に取り付けられたスピーカシステムの音が変わったときでした。スクリーン裏の壁に吸音材を張ったら今まで出てこなかった低域の音がすっきりと出てきたのです。エンクロージャの中にスピーカシステムを置く位置によっても音が変化しました。スピーカシステムの前のグリルの形状によっても音が変わりました。でもこれは、実際にやったから実感できたことではないかと思います。

Q その実験会ではスピーカの設置方法や位置で音が変化してしまうことを学びました。そのとき設置条件で音が悪くなるだけじゃないので、「変化してしまう」という表現をしようじゃないかと話しあったこともありますね。

森本 そのとおりだと思います。機器を選んで設備を構築するだけでなく、設置場所と設置環境にも気を使う必要があることを知らなくてはいけません。

Q 協会の技能認定講座の指導内容の基本は、そのころに論議しあっていたことが題材となっています。

森本さんは自分のためでなく多くの方々のために、お節介のような事を先駆けてよくやりましたが、現在はそのような人たちが少なくなったようですね。

森本 自分自身過去にしてきたことがおせっかいかなと思ってはいますが、それが何かの形で残ってきているのですから、それで良いと考えています。「小さな池には大きな魚は住めない」という東亜特殊電機の中谷社長の言葉を戒めとして活動しています。自分にとって面白いことをしたければ、おせっかいでもいいから積極的に動くことが必要だと思いますね。

Q 与太話もその部類ですよね。

森本 自分としては、それほどのことは書いていないと思っているのですが、珍重されていて助かっています。

Q それは自分の能力の見せびらかしではないから、周囲が素直に耳を頷けて、受け入れてくれるんですね。

森本 自分がわかっていることだけを書いているためだと思います。

Q わかっていることだけ、というは言い言葉ですね。昔、某社から森本さんのヘッドハンティングを依頼されたことがありましたが、それほど森本さんの営業は魅力的だったのでしょうね。「この商品は素晴らしい」とは誰でも言うが、与太話をして「とにかく使ってみて」とデモ機を置いて行く営業方法は現場のプロとの信頼関係が生まれました。

森本 それが当然と思っていたし、自分が惚れ込んだ製品は黙っていても誰もが使ってくれると思っていました。

Q 現在力を入れている仮設音響反射板を扱うということは画期的なこさとだと思います。どこに惚れ込みましたか。

森本 最初ウェンガー社の代理店をやってくれと言われたときには、ただの板ではないかと思っていました。しかし素材、設置方法によって音が大きく変化していくのを目のあたりにしたとき、その思い込みはきれいに消えてしまいました。ミネアポリスの巨大な工場を訪問して、その製造風景を見て他ではまねをできないような工程を経て出来上がる姿を見て感動を覚えました。またウェンガーで仕事に当たっているエンジニアの話を聞くにつれて、ウェンガー社の製品を使って音楽環境を良くしたいという情熱を感じることができました。ウェンガー社の社員の中には、ミネアポリスでプロの音楽家として活躍している人間が多くいるそうです。アルテックと同じく音響技術に関する資料も多く、その資料を目の前にして日本にその技術を広めようというファイトをもたげています。

Q ファイトと度胸がないと経営者にはなれないですものね。

森本 自分には経営者としての能力はないと思っていますが、言ったことには責任を持つという姿勢は大切であると考えています。今、機器と設備とシステムというテーマを考えているのですが、うまくまとまらなく苦心しています。また昔、書いた資料の作り直しもしています。まだまだやることがたくさんあります。

Q 昔と変わらぬチャレンジ精神、いつまでも続けてください。ありがとうございました。

(取材:関 賢栄)